2014年05月
2013年11月
作者近況 2014年01月 2013年09月

09/30朝 昨夜、遅くまで作業したので、乾燥ブースのプリントが乾かない。ドライヤーで予備乾燥するのに結構時間がかかった。これからフラットニング。

久しぶりの洗濯もした。ずっと晴れていたが、風が強く、、、外に干すのが無理なので溜まっていた。。。。、、、いろいろと忙しい朝なのに、、、こんなときに限ってティッシュをいっしょに洗ったらしく、、、、取るのが大変だった。。。。。10時を過ぎているが、、、やっとコーヒー。。。。これからフラットニングか、、、、

昨日は、トラブルの多い一日だった。。。まず、ダーストのタイマーが壊れた。。。これはメインの露光用なのでマルチプログラム仕様。段階的にかけていく露光を順番に記憶してセットしてくれる。。。。これが使えないと、、時間を調べながら、、そのつどタイマーをセットしなければならない。。。昨日のプリントも工程が多く、、、、予備の、スタッグのタイマーは、、、スタートボタンとフォーカスボタンが近い位置にあるので、、完全暗黒では、間違えて押してしまうことも数回、、、、、、

そんなことでいらいらしていると失敗も。。。やっと作った新しい現像液を捨ててしまった。古いのと間違えて、、、、

そして、、、なぞの露光のばらつき、、、、、、これがわからない。。。2度、、、大きく露光が変わった。。。。。電圧で制御しているので、、、今までこんなに大きくばらついたことはない。。。印画紙も疑ったが、、、特定の露光の部分だけが狂う。。。3つの光源のうち、メインの光源のようだが、、、タイマーを変えたこともあり、、、時間も計ってみたが、、、、(デジタルタイマーは狂わないと思うが)あるいは、、、、電球の寿命が近づいているのか、、、、、

一枚の工程は30分を超えるので、、、現像してからやり直すと、、、1時間くらいのロスになる。。。それが2回あり、、、原因がわからないまま、、、3度目には元に戻ってみたり、、、、、慣れないタイマーで自分がミスしたのかとやり直すと、、、やはりダメ、、、

かなりの紙と、時間を無駄にした一日だったが、、、絵柄に関する、、不安もある。。。このイメージは、、、最近大きなプリントがよく売れる。。。本来、、、私は11x14のマスタープリントを作ってから、16x20の大きなプリントを仕上げるのだが、、、この絵柄は、、、小さいサイズはどうも、、、好きなプリントが出来ていない、、、、

それを仕上げてみたかった。。。あまりパットしない、、、、、、やはり大きくないとダメなのか。。。。。これからフラットニング。


09/29昼 だめだ、メインの光源用のダーストのタイマーが壊れた。。ヒューズとプラグを交換してみたが,まったく動作しない。

とりあえず予備のスタッグのタイマーを装着するが、、トテモ使いづらい、、、、、、、、


09/29朝 土曜日の夜のバスで帰宅した。いつもは、がらがらのバスだが、、夜だから?結構混んでいて、ほぼ、全ての座席が埋まっていた。

ルートが変わってから、、、あるいは、初めてなのか、、、、夜のバス。。。アクアラインを超えてからは、、、ほとんど暗闇の中を走っていく。道の流れがわからないので、、体が左右に振られ、、、乗り物に弱い人だとやられてしまいそうだ。。。

混んでいるバスも、、東京を出てしまえば、降りていく人ばかりで、、、座席はどんどん空いていく。。終点の御宿では、、いつものように私一人になってしまった。

終点、、、、降りるのは私だけ(これは、、ほぼ、、いつもだが)、、、絵本のように。

そこから20分ほどの道のりを歩いて帰る。、、、それは、、、暗く、、静かな夜道ならいいのだけれど、、、騒々しい国道で、途中のコンビニは、、レジで10分近く待たされるほど、混雑していた。、、、後で知ったのだが、学生の、ライフセーバーの大会があったのかな、、、、海の町だから。

昨日は、足の痛みなどで、、暗室は準備だけ。。。料理と片付けで、、、夕方には風呂に入った。

今日は、、朝から仕事。

コーヒーを飲み終えて、、、はじめよう。ネガは決まっている。


09/26 今日も昼から取材に出るので機材の準備をしている。やはり、、ウィーンフィルのメンバー。それなりに音楽ファンではあるが、あまり詳しくないので、もったいない話だ。

昨日はフルート奏者。。。フルートと言う楽器には、、少し、縁があって、、、演奏家を取材しながら、その人の人格に興味を持ってしまう。。。

私の存在を無視し続けている姉も、中学のころからフルートを習っていた。。。。彼女の美しい人生観には、それはきっと不可欠なものだったのだろう、、、いつごろからか、、、私が5歳になったころからだと思うが、私の存在を拒絶し、、、同じ学校に通っていても、会話を交わすことはなかった。。。。

何十年もの長い歳月がたち、人格がどのように変化したかはわからないが。。。おそらく、、、、変わらないと思う。。。顔も、声も覚えていないのだが、、、いやなものを拒絶するときの空気が、、、ふっと思い出されることがある。


09/25 取材に出る準備をしている。ウィーンフィルが来日しているので,メンバーの取材がちらほら。。。。

先日注文した、アクロスの4X5を午前中に受け取った。注文翌日に10箱が届くのは、流通量の多さからなのか?あわてて注文しなくてもだいじょうぶなのか、、、などと思ったりしているが、、、、、この10箱で、、、そこそこ使えるようになったころ、、一気に値上げとか、、、、やられてしまいそうだ。

写真家なら、フィルムや印画紙は借金してでも買え!、、、と、、思っているが、、、アクロスは正直、、、、好きではないので、、、届いた10箱を見ても、、、気持ちは盛り上がらない。。。

来月の支払いのめどはないのだが、、、使ってない5X7のカメラを処分するか、、、などと、、、適当なことを考える。

そう。。カメラを売ってフィルムを買おう。。。。あまり売れるものもないのだが、、、、


09/23 2日間で20数枚のフィルムを処理した。それだけなら、別にどうと言うことはないが、現像時間の長さ、、はたまた、ハイポ系のアルカリ定着、そしてアフターパイロバス、、、と続くので、、、時間と体力を消耗する。。。薬品の毒性にも気を使う、、、、

アクロスを200まで増感。、、、無理のない設定だが、、、、スタジオでの露光に、、、大きなミスがあった。

パイロでの増感と。現代的なフィルムとの組み合わせ。テストしたときのステップは16段。asa200の感度で、。きっちりと−4段の zone 1 から濃度は上がり始める。16段階目のステップで濃度は2.6。、、、、、そこまできれいに直線をゆがめながらゾーンを刻んでいく。。。。この組み合わせのすごいところは、、、高濃度のフラットな部分にも現像ムラを生じない。。

プリントで無理すれば大概のイメージは仕上げることが出来る。。。。

普段は、こんなつまらないフィルムは使わない。。。自分の強調したい、特定のゾーンが、、、直線のゆるいカーブの中に埋もれてしまう。。。

この撮影も、先日までは低感度のテクニカルパンを使用した。感度は12〜24だが、ハイライトをパイロで抑えても、シャドーの部分には強いコントラストが残る。

フォグ+ベースの状態から2〜3段で、明るいグレーを再現できれば、レフで起こしたフラットなシャドーも平面的になることはない。。。廃墟の中で、窓から差し込んでくる強い光を再現しながら、、、、シャドーのコントラストは、、低感度フィルムの強い立体感を見せてくれるのと同じ原理。。。。。

それを、高い感度で実現したいと思った。。。。低濃度側、、zone 1〜2 を測定し、ハイライトを zone8〜9 に設定。9ステップの露出なら余裕で再現できるはず。。。照明比は光源の状態と、レフで作っていく、、、、、

この、シャドー zone 1〜2 と言うのが失敗だった。。。。全てのネガが、、、ハイライトと、シャドーしか存在しない。。。今までのテクニカルパンのネガを見ながら、露光レンジを決めた為、、、シャドーにもコントラストがあり、、、zone 3〜4 が存在していると、勘違いしてしまった。そう、、、見ていたネガは、、その部分のコントラストが、増幅されている。

なぜ、、、こまめに、、スポットメーターで、計らなかったのか、、、、それは、、、高出力のストロボゆえ、、、、、何度も発光させると、、ライト周りのブラックラップが発煙し、、、発火の危険がある。

一枚目から、、、、ああ、、これは、、ダメかもしれない、、、そう思いながら、、処理を続けるのはとてもつらい。。。

先日、、、使用しなくなった濃度計をオークションで売却した。。。ついでと言うか、、、冷蔵庫にあった、使ってないカラーフィルムも処分したのだが、、、それが結構な金額になり、、、、これで、、アクロスを10箱注文する。。。。好きでないフィルムだが、、、使いこなせない自分にも問題がある。

このフィルムは国内で3000円台で買えるが、、、海外では50ドル以上する。国内の値上げも近いと感じる。


09/21朝 昼のバスで自宅に戻るべく準備を進めている。いつものようにあわただしく、、、、

先日スタジオで撮影したフィルムをホルダーから抜いて、箱に移した。

中古のホルダーを購入し、スタジオに保管。これで、フィルムだけを移動すればよい。。。何年ぶりかで、風呂場でフィルムを装てんしたのだが、はじめの1パックを誤って床に落とし、、、全てだめにしてしまった。。。

狭い洗面台の上でフィルムを入れ替える、、、、、、昔は日常だったことだが、、、、、その緊張感はどこかに忘れていたようだ。。。今日は、、、慎重に抜いて、厳重に箱に入れた。

戻ったらすぐに現像。。。。新しい処理は15分以上の現像時間で、アフターパイロバスも含めると一枚30分ほどの工程をつききりでこなさなければならない。。それが20枚以上だから体にこたえる。。。

今週は、撮影も含め、体力的にもハードだった。そして今日はもろもろの荷物に加えて、、、4箱の印画紙も持って帰る,,,これは重く感じないのが不思議。そう、、、印画紙と、酒は、、たくさんあってもなんだか軽い。。。


09/18 スタジオに入って3日目になる。。。今日は忙しく、やっと時間ができてこの日記を書く。、、、いや、忙しいのは今日だけではないが、、、、

先日、自宅でキャリブレーションした、フィルムのデータを持参している。。。1週間ほどかけて仕上げた新しいプリントも。。。

プリントは、時間ができると、箱をあけ、スタジオでの照明比、被写体との心理的な距離などが、、撮影したスタジオで、、、自分にフィードバックされる。。。。。新しい被写体には、、、必要なこと。

キャリブレーションを済ませたフィルムは、フジのアクロス。。。

このフィルムのトーンカーブは何本も仕上げたが、、、面白いと思ったものはひとつもなく、、、カーブなど書かなくても、、直線部のつまらないほど安定した描写は、撮影する前に想像できる。

そして、今回はパイロだ。すでに何回か撮影し、作品も仕上げている、、、、、

なぜ、、そんな結果のわかっていることをするのか、、、気持ちはいらだつが、、、現行、、安定して入手できる、感度の高いフィルムが思いつかない。。。スタジオでのストロボに、感度の高いフィルムがほしい、、、、シングルチューブの限界は3200W。12や32の感度では16をこえる絞りが使えない。。。屋外のような、パンフォーカスを試したい、、、、、

アクロスをパイロで増感し、200から400のカーブを試している。

絞りは32から45、、、、、最近は360mm も使用するのでこれは日常的な深度しか得られない、、、、それでも、、結果には期待する。。。4x5の360mm は、スタジオではちょうど良いパース。屋外の250mm の感覚、、、、、、、対象物のない空間で、、、私の視点はどんどん狭くなっていく、、、、、視点は心の中にある。、、被写体との距離は、、、すぐそこだ。。。。。。強い光がカメラの前を、、、三脚の下を、、通り抜けていく。、、、、、

何年生きても、、、自分のためにすごせる時間は、ごくわずか。。。もし、、、それが写らないのなら、、、生きる意味を感じない。

結果を生み出すフィルムがどうしても必要だ。


09-14朝 昨日のプリントのフラットニングを終えた。一息入れたらフィルムのキャリブレーションの準備。。。。。とりあえず、、、コーヒーを入れよう。

昨日はイルフォードの紙で仕事をした。紙の腰も強くダイナミックレンジが広い。。もちろん、ハイライトが強いので、A120で処理している。

ああ、これはこれで良い紙だな、、と思いながらプリントしたが、、、やはり色調は気に入らない。。。好き嫌いではなく、、、イメージとの相性の問題。。。。紙の色は現像液でどうにかなる問題ではなく、結果的には調色するのが効果的だ,,,取り急ぎ、イメージをつかむ為に仕上げているので、、、それ以上は考えない。

比較的順調な作業だったので、、、早い終了後に、、、違う紙を試した。。。ビンテージの紙だが、、、あまり評判の良くない紙。。。私も、あまり好きではない、、ごく、初期のイルフォードのウォームトーン。。。これは紙そのものが、、、赤みがかかっていて、、、とても普通には使えない。。。。ただ、、、銀量は多く諧調は豊かだ。

結果は、とても良い。余白をグラデにしているので紙の地色は気にならず、、、深い黒と美しいゼラチンが効果的だ。。。現在の紙は、ゼラチンがやせていて深い柔らかさは出ない物なのだと、、、先日の失敗を思い出す。

それとて、、、全てのイメージを見出してからのこと。。。。まずは、、、諧調を自分のイメージに完全に近づけること。。。。そして、、、余白のグレーの影響は、いろいろなものをカバーしてくれる。。。


09/13朝 夜明けごろだが、ふと、、、今取り組んでいるイメージに対する、、「新しい解釈」 のようなものが降りてきた。なぜ撮るのか、、、何を見るのか、、、と言うような言葉のようなものだが、、、、、概念、、?撮ろうとしているものが何なのか???わからないまま、、、試し続けていた。。。

これで、、、迷いから開放される、、、、、、と、、、思う。

次の撮影から、、、、迷いなく取り組める。そして、、、フォーカスも少し変わってくると思う。。。深度をもう少しかせぎたい。。。感度のあるフィルムカーブで撮影する為、、、明日,、違うフィルムのキャリブレーションを実施する。

そうだったのか、、、、それだったのか。。。スタジオが、まったく違う空間に見えてくるはずだ。。


09/12朝 と言っても、もう午後が近い。よく晴れている。秋晴れが続けば部屋の湿度も下がりそうだ。シーツの洗濯などを終えてからフラットニングだから、一息ついたら、もうすぐ昼だ。

まだ、昼前だが、かなり疲れている。やっとコーヒーを入れながら、、、、この日記を書く。

昨日のプリント。。。フラットニングの後、、半分を水の中に戻してしまった。そして、、一日かけてゆっくり乾燥し、、、どの段階でイメージがつまらなくなってしまったかを検証。

何度も見比べてみると、、、、完全に乾く直前、、、たとえば室内で湿度の多い日に見るプリントぐらいなら、まだイメージを保っている。。。そして。ゼラチンが硬化すると一気に表面のしわの中に絵が沈んでしまう。。。光沢の美しい紙にはかなわない、、、、、、

そう感じ始めて、、、フラットニングしたままのプリントに順光のライトを当てると、完全ではないまでも、美しいイメージが見えてくる。。。。やはり、、、この紙には、難しいグレーゾーンがあるようだ。。。逆に諧調を少し明るくすれば再現性はぐっと上がる。。。

たとえ、、光沢の美しい紙を使っても、、、特定のグレーはプラチナには及ばない。。。シルバーの弱点はこのあたりかな、、、、

昨日はあれこれ悩んだ後、まったく違うタッチのネガを仕上げた。。。始まりが遅かったので遅い時間まで。。。とても疲れる一日だった。

最後の25枚のEDUを使い切り、今日からはイルフォードで仕事。だいぶ感じが変わる、、、


09/11朝 昨日のプリントのフラットニングを終えた。全てだめだ。グレーが死んでしまう。

どうせ捨てるならと思い、、、そのそのプリントを、、、また、、暗室の水に入れてみた。。。再び柔らかな空間が見えてくる、、、、フラットニングを終えたプリントとの違いを検証するが、、、どうすれば諧調の損失をカバーできるのかはわからない。。。

表面の光沢が気に入らないのか、、、、濃度ではない。紙なのだが。。。。。。プリントは水の中。。そして仕上がったもの。今日はこれからどうしよう、、、、


09/10 やっと1点仕上げた。グレーのドライダウンが微妙なイメージで、乾いてみないとわからない。

明日にはアリスタの紙が底をつくのでイルフォードに切り替えることになりそうだ。。。。残りの紙で明日、もう一点延ばせればうれしいのだが、、、、、

日本では写真は売れない、、、日本人は、美術にお金を払わない、、、、そんな話をよく聞くが、、、、他のジャンルはわからないが、、、日本人が、、写真を買わないのは、、、買って所有したいと思うほどの作品がないからだと思う。もちろん、価格に関するギャップはあるとしても、、、

売れないと、、、文句を言っている写真家ばかりだが、、、、国内で売れないものが、海外、まして、、ヨーロッパで売れるとは思えない。人気のある絵柄はある程度決まっているし、感覚と言う意味では日本より閉鎖的に感じる。

逆に海外のマーケットは停滞しており、、、未開拓の日本に向けて、、美術関係者が関心を寄せ、作品も集まってきているように感じる、、、、そう思うのは、、海外で活躍していた日系人の写真家のプリントが、、、日本で売られる機会が多くなっていることから、、、、、、、おそらく、海外より、、日本の方が動きがある、、、そう読まれていると思う。

だから、、、どうすればよいのか、、、私自身は、、、何もするべきではないと思う。。。ただ、、、作ること。

自分自身に近づくこと、、ただ、、それだけだと思う。。自分の声に耳を傾けよう。より、美しいものを作る。。。それだけだ。

私は、他の素材では作れないものを作っている。それは、、、いろいろな視点から、、写真と、その仕上げられる素材の独自性を極める物。。。。

いずれ、、二次平面の芸術は、全てを再現可能な電子的な情報素材で複製されるようになる。現在の段階では、発光式のモニターだが、もっと進化すれば、環境光を反射する紙のような素材も現れるだろう。

現在の音楽のように、それらは情報化された著作物を複製し、、いつでも好きなものを部屋に飾り、TPOに応じて物体としても遜色のない存在感を放つようになる。。。スピーカーから流れる音楽を複製と言う違和感なしに鑑賞するように、、、、、、、

素材には、芸術に導く力がある。銀塩には、銀の。。。。。プラチナにはプラチナの、、、そしてインクにはインクの、、、、、素材を極めることで感性が磨かれ、物体としての、芸術が生まれる。。。。物を創る事。。。。。。。写真とて、それは同じ。

芸術は独自性の中で生まれる。。。情報となり、複製が作られるのは、、、その後のこと。。。


09/09夕方 月の出を待っている。仕事を早く切り上げて小さい缶ビールを開けた。まだ明るい。。。

美しい月を見れば、許されるのかもしれない、、、、この月を共有する全てのものから、、、


09/07朝 雨が降っている。だらだらしているとそのまま午後になってしまいそうだ、、、自宅での雨ははテンションが下がる、、、、

5日の午後に帰宅したが、宅急便で届いた新しい機材の調整や設置でそれなりに忙しかった。。。。そして、雨のせいなのか、アレルギーなのか体調のもすっきりしない。。。これは、、気持ちの問題だな。

新しい濃度計が届いた、、、もちろん中古のジャンク品なので、だめもとだったが、、、思ったより程度がよく、、ランプ類の交換、、稼動部分の組みなおし、、、そして大雑把な校正が終わり、ノーリツのDM−1の場所に入れ替えた。

透過濃度計は、大雑把に分けて3種類の用途で作られている。もちろん昔の物の話だが、、、、、、

シンプルなものは医療用。。。これはサクラ(コニカ)製が多いが、レントゲンフィルムの検証用だ。キャリブレーションも含め、撮影されたフィルムの濃度で、患部の状態を記録する為のものだ、、、、小さな医療機関でも使えるように80系の光源を持たないハンディタイプが普及していた。70年代の後半に、5万円以下で手に入った。

カラーの校正値を持つものでは、現像所などのラボで使われていたもの、、、これは、ノーリツのものが普及していた。機能の割りに価格が安く、ラボの自動現像機とリンクするものが多い。それでも50万くらい、、、、

そして、ある意味。今でも使われているのが、、、印刷、製版の校正用の物。版下や原稿の濃度を校正する為のもの。。。。むかしならマクベス、、、その後は Xrite 大日本スクリーンなど、、、これも高価だ、、、センシトメトリーの用途からすれば、、、どれでもよいが、むかしマクベスを使っていた人は、、このあたりを使用することが多い。。。

70年代にはサクラのPDA80を使った。これを学校のマクベスで校正し、自前のコントロールストリップを作る。しかし、、、これも借り物だったので、暗室ですぐに使うことは出来なかった、、、、

そこで引き延ばし機とカラー用のアナライザーで濃度計を作った。、、、、こうなると、、数値化する意味はないのだが、、、そのまま引き伸ばせばよいわけで、、、、、、ただ、、、ネガの傾向はカーブを書かないとわからない。。。ライトボックスとスポットメーターを使用すれば簡単だが、、、。。。。。と、言うか、、、ある物で済ませるという事だった、、、、

この原理は簡単で光源の状態をフラットに保てる範囲を測定し、イーゼル上でスポットのアナライザーで測定する。アナライザーのメーター上にシートをかけて濃度を書き込めば直読できるというもの、、、、H,L,レンジやユニットの抵抗を組み替えればそこそこネガ濃度全域に対応できる、、、

これは、数値としてはかなりアバウトだが、、、つまり、引き延ばしという行為は、、細かい数字の上に成り立っているのではなく、、、全ての機材のあいまいなバランスの上で、それを使う人間がいてはじめて結果を生むということを、、、体感できたように感じる。

90年代中ごろになるとスキャナーを導入したので、スキャナーソフトには濃度の表示があり、それで事がすむようになった。これは、、、数値化するという意味では簡単だが、、、ネガをスキャナーにセットするのは結構な手間がかかる、、、、

そして、、、中古で購入したのが、ノーリツのDM−1だった。はじめて購入した濃度計だが、校正も簡単で、今までのことを考えれば、精度に不満はなく、、何より、すぐに濃度を測ることが出来る、、、、この便利さが癖になり、、、半年もしないうちにXrite-301 を購入した。これは中古で10万円だったが、安いと思うのは私だけだろうか、、、

以来、その2台を使用してきたが、ノーリツのDM1で問題を感じることはなく、通常はこちらだけを使っていた。

それではなぜ新しいものを、、、今回購入したのは大日本スクリーンのもの。。。いくらか、新しい機種なので精度は高く使い易いが、、濃度を測るだけなら、付加機能の多さがわずらわしいとも言える。

決め手になったのは測定部と,本体のリーチの長さ。30センチ近くあり、X‐riteより数センチ長い。。。このあたりは印刷用の優れているところ。

通常なら、そんなに大きなネガは扱わないのだが、、、、、インクジェットのデジタルネガには大きなものが必要になる。。。無駄遣いの言い訳だが、、、

いまどき濃度計?と言う人もいるが、、、とりあえず引き取り先を探して、、、オークションにでも出すか、、、DM1


09/04朝 これから画像処理。雑用と経理の処理を進めれば明日には自宅に戻れる。

スタジオにプリントがあるのはとてもいいことだ。。。。以前、ここにいるときは、作品のことはあまり考えなかったが、、、、、、一枚でも、自分と向き合える作品があると、その日を、、、、、確かに生きようと思う。

作品は自分のためのものだ、、、人に見せるためのものではない。、、、、そういうことも、ここでプリントを見ていると、、はっきりと自覚できる。

芸術とは、自己の中で完結する世界だと思っている、、、それは、自分にとってだが、、、、、、この世界に存在する芸術も、、そうやって作られたであろう物だけを愛している。

それは、叫び、絶唱、、あるいは沈黙、、、、涙のような暖かさ、、、、人によって、、、その時それぞれに、形はさまざまだが、自己を助けるため、心から求める生理的な感覚から生まれてくるものだと思う。

若いアーティストが、年寄りの趣味人と同じに扱われ、、、、、企業や、組織の、営利の為に行われているレビューやコンペで、挫折に導かれるのは、悲しいことだ、、、、、、芸術を学ぶための学校やイベントも、、同じように、作家の心を破壊し続けている。

芸術はこういうものだと、、、何もできない人間が話しても、むなしく、希望を、吸い取られるだけだ、、、、

では、、、学問は、理論は、、、まったく無意味なのか????

そうは思わない。。。。。自分も芸術の学校で学んだ、、、、、それは、大きな、ターニングポイントになった。

何を学んだのか??、、、それは、、、、「それまでに学んだ事を否定する力」、、、自分の感性に純粋になれる人間はごくわずかだ。。。。自分の感覚だと思っていても、、それまでに教えられてきた、理論的な解釈に深く、影響されている。。。。純粋な感覚、生理的な脳の渇きを思い出すには、新しい力が必要だ。

本に書かれた哲学も、意味なく読み上げられる授業も、、、そして、それらについて誰かと話し合うことも、、、、、、一つずつ、何かをそぎ落とし、人間としての存在に、近づく為に、、、、、、、、、、、覚えるのでなく、消し去ること、、、、教えられるのでなく、、、探すこと、、、、

時代を超え、環境、文化を越えて芸術は存在している。。。。。。たとえば、、作品に添えられるステイトメンとはどうだろう?、、、プレゼンに必要なジャンル分けは?、、、、それらは、、、とても、狭い、現在の環境にのみ適応する解釈だ。。。。それを自分の鏡として受け入れたら、その芸術は死んでしまう。。。。。

逆に言えば、、、芸術を、求めている人は、ごくわずかだと思う。。。

求められているのは、、、、芸術的なもの。。。。。


09/01 スタジオでの生活が続いているが、今日は撮影はなく、画像処理も昨日の取材分だけ。。。。ゆったり過ごしている、、、、と言っても、、10日ほど前から、新しいPCとフォトショップのクラウドをスタートしたので、その設定を、、時間ができると少しづつ、、、これが結構疲れる。

新しいPC。。。。。XPから7へいよいよ切り替える。10年以上使っていたOSを切り替えるだけでも大変なのだが、、、フォトショップもCCになり、OSの64bitと組み合わせれば、ほとんどのソフトは入れ替えなければならない。

15年ほど前に、Mac だけでは作業に支障があり、Win 98も導入したのだが、おそらく、それ以上の、ストレスを感じている。。。。いっそMac に作業環境を変えてしまおうかと思うくらい、疲れる。

いつまでに、、、と言う期限はないのだが、今年になってからXPのマシンの調子が悪く、、、新しいデジカメのせいもあるのだが、、、かなりの無理をして、、、新しいマシンを購入した。

まったく予算がなかったので、、、新しいマシンと言っても、、中古のワークステーションを買った、、、、、、このあたりが、、貧乏性の、悲しい性だが、、、、つまり、OSも、バイオスも、全てが一からセッティングしなければならない、、、、、、、これに一週間かかった。

そして、先週フォトショップのCC、、、(これも潔くなくて、無料体験版だが)、、、とりあえず、インストールした。

どこまで進んだのか、、、、、、、、、Win7 の設定にてこづっているが、、、、、、自分としては、休まず、、、先に進んでいると思う。。。モニターのプロファイルを作るだけで、今までとはまったく違う。。。やっと色が出て、、、フォトショップはこれからだ。

設定をしながら思ったが、、、OSの存在よりも、、ブラウザ。。。。。、この存在がどれほどコマーシャルに支配されているのか、、、ブラウザを制するものはマーケットを、、、、そんな時代なのだと思う。

アドオンのアプレットやソフトは、、ブラインドでどんどんインストールされる、、、インストールすると。。。いくつもアンインストール、、、一歩進めば、、、何歩もさがらねばならない、、、、、

何かを見ると言うことは、、、常に見られていると言うことなのか、、、悲しい未来、、、


08/30朝 スタジオでデータのバックアップ。今日は一日デスクワークの予定。

昨日、午前中はスタジオで物撮。午後からは電車で出かけてアーティストの取材と、、、きついスケジュールだった。。。夕方に戻り、自転車で買い物に出かけたが、、、、、とても久しぶりに、、、自転車で転倒した。派手に転んだ割には怪我がなく、、、運が良かったのだが、、、転んでしまったのは、、疲れていたからだと思う。気をつけなければいけない、、、、、、、、、

偶然性に依存する芸術もある。。。たとえば、、陶芸の窯変のように、、、、それらは一見偶然によるものだが、、、ある、しきい値をこえると、芸術家の魂に引き寄せられ、必然的な命の流れを持つようになる。

キャンバスにたたきつけた絵の具の飛沫、、、乾燥によりひび割れていくさまざまな素材、、、、、最初は、偶然に引き寄せられ、作家は興味を持ち始める、、、、、あるところ、、、ある、しきいを越えた瞬間、、それは芸術になり、、彼は、、もう戻れない。


08/28朝 昨日のプリントのフラットニングを終えた。。昨日入れたコーヒーの残りを飲みながらこの日記を書いている。

余白の色が気にいらない。トリミングスケールを当ててみると、このイメージは白のほうが浮き立って見える。M.White の岩と貝のイメージのように宇宙空間のようなものを空想しているが、ただの光にしか見えてこない。

紙はアリスタのEduを使っている。この紙なら、通常の余白でも落ち着いた仕上がりだろうか、、、、価格が高騰した他の紙は、使用量の多いときはなかなか手が出ない、、、、、

コントラストやD.max は問題ないレベルだが、少し乾いて見える表面、、、、最初からある表面の押されたような凹みなどが気になる、、、品質管理は、それほど悪い方ではないが、、紙の表面のしわのようなものは、デリケートなグレーを出すと縞のようなスジになって目に付くときがある、、、価格を考えれば私的には良いレベル。。。

むかしから、高価な紙には抵抗がある。。。貧乏だった学生の頃、手に入る最低限の紙で、最大の効果を出すようにいろいろな方法を試した。。。その頃の感覚なのか、、、、紙に頼ったようなプリントを作りたくないと、、、、貧乏くさい僻みかもしれないが、、、とにかく、、、それ以前、印画紙以前のところを、完全に煮詰める方に集中しようと思う。。。。。。。その結果疲れ果ててやめてしまったりもするのだが。。

プリントを生で見せることに興味を持ち始めた。そのため、、、切り落としたり、マットに隠れていた余白の部分も、作品の一部として関心を持つようになった。

白の強い紙を使えば、、画面の中の白はその影響で沈んで見える。。。濃度は常に相対的、、心理的で、それらの要素で印象は変わる。。。そして、今回のように、黒に支配された画面では、、すっきりとした白のほうがイメージが引き立ってくる。

とにかく仕上げていく。

午後のバスでスタジオに出かける。このプリントも持って行きたいが、雨がやみそうにない、、、どうしよう。

いつも、小銭をケチって地下鉄やJRを何本も乗り継いで通っているが、、高速バスだと東京駅までは一本でいける。ちょっと割高なので(200円ほどだが)荷物の多いときしか使わなかったが、先日回数券を入手したのでほぼ同じ金額だ。ちょっとうれしい、、、


08/27朝 昨日はネガが絞りきれず仕上げに至ったプリントはない。今日一日作業して明日はスタジオに戻るので、何とかしたい。。。。紙が無駄だと思わずに、、、、とにかく焼き付けて、、画面を決めていく。

プリントの存在感。。ここに、全てがある。それは一点で完結する物。

70年代、80年代、、、プリントを売るという感覚のない時代から、、、、、、では、どうすれば売れるのか??そう考えてきた結論はそこにあると思う。

もちろん、世の中で売れているものを作ろう、、、ということではなく、、、どうすれば人が所有したいと思うのか?、、、そういうことだ。。。。。プラチナだとか、グラビュールだとか、、、、技法に由来するものではなく、、、アーティストの命を感じ取れる「結果としての」プリント。。。。それひとつで完結した世界観を放つもの。

キャプションやステイトメントで演出しなければならないものは、、、少なくとも、自分の芸術ではないと思う。。。それらは、、、すでに、、、プリントの中にある。。。。なぜ、何日も作業するのか、、、なぜ、、、何度も、やり直すのか、、、それは、、その一枚に、、キャプションやステイトメント、、全ての要素を込めていこうと思うから。。。質感、フォルム、それぞれの技法の限界の中に命がある。

まったく発表することのない作品を、何年もやり直し、あまりの浪費に気がめいってしまうのだが、、、、これが自分のやり方だと、、、、ううまくいかない言い訳。。

ステイトメントに多くの労力を費やしたり、プレゼンの為のワークショップに行ったり、そして、、技法を身につける為に、プリンターのワークショップに参加する、、アーティストを迷わせるものは何なのか?

そこから生まれるものは芸術ではなく、紙に書かれたコンセプト??物を作ろう、、、

そう自分に話しかけているのだが、まだ、光が見えない


08/26朝 昨日バスで自宅に戻り、夜のうちに干しておいた洗濯物がもう乾いている。。。午後からは雨、そんな予報だったから、、、、朝のうちに家事を終わらせて午後からは先日のプリントを再開する。

前回戻ったときは一日でフィルム現像、翌日、とにかく一点を選んでプリントを仕上げる、、、そんなスケジュールだった。。。そのままスタジオへ戻ったわけだが、仕上げたプリントは一点はスタジオに。そして、自宅には、額装したものが置いてある、、、、

フィルムの現像から、プリントまではとても長い工程があるので、翌日にプリントなんてことは初めてだが、、さらにフィニッシュまで進めるのは、広くなった作業スペースのおかげ。

なぜ、そこまで急いでいるのか、、、理由は無いが、、、感覚として、とにかく形にして見てみたい、、、そんな欲求から。

光は、どのように紙に焼き付けられるのか?画面を支配しているのは、ハイライトなのか、シャドーなのか?質感はどこまで見えてくるのか、視点は、、、テストプリントばかりを繰り返していては、欠点ばかりが見えてきて、到達点を見失ってしまいそうな気がしたのか、、、

1週間以上スタジオで過ごしたわけだが、持ち込んだプリントは印画紙の箱に入れ、箱を開けれればすぐに生のプリントが見える状態、、、それを一日に何度も見た、、、、そして、昨日、自宅に戻り、机の上においてある額を見る、、、、、

このプリントは、額に入っているより、生の方が、存在感がある。スタジオでは、、箱を空けた瞬間に、プリント特有のオーラを感じた。、、、、、ポートフォリオボックスとは、そういうものだと思うが、、、額に入れてあると、物質としての存在感が弱められる感じ、、、もちろん、、、額の種類も影響するが、、質感で見せているプリント、、、そういう作画になっているように感じる。。。もっと、構図にも力を与えたい、、宙に浮き上がるような離脱した空間、、、そういうものが見えてない。。

昨夜、ネガを選んだが、作業してみないとわからない、、、もう少し、浮き上がって見えるように、、、額の中でも。

余白は3ミリの黒、そして少し濃い目のグレーのグラデーション。ここを少し明るくすればいくらかかわるかもしれない、、、


08/15 朝から暗室でフィルムの処理を進めた。前回から、スタジオでのフィルムは全てパイロで処理している。

常識を超えた照明比を、この現像液で、私の視覚に近づけたい、、、、人の肌を突き抜けるような強い光、、、死体のように美しく、、、

もし、それが命を持つものなら、その、生命の存在を超えて、光を感じたい。。。それは風景でも、廃墟でも、、、、サブジェクトを超えて見えてくる光、、、


08/14 ほぼ2週間ぶりに帰ってきた。何本もの電車を乗り継ぐ3時間ほどの行程だが、全て座って帰れたのははじめて。お盆を実感。。。お盆でもナカメは人が多く、都内の静けさはまったく無かった。。。昔からこうだったかな?と、、、ふと、思った。

ここ一月ぐらい、、、夏になってから、自宅で過ごしたのはわずか数日、それもほとんど日帰りに近い状態なので、、、水着の人でにぎわっているコンビニや通りが新鮮。家の前の道路が大渋滞していて、しばらく買物には出れそうも無い。

スタジオでの生活は、特に忙しかったというわけではないが、、、交通費の節約、、、あるいは、長い道のりにかえって疲れてしまう、、、そんな感覚で長く滞在してしまった。

昨日はスタジオで作品の撮影。明日は、そのフィルムを現像する。いつも、、今まで、、、スタジオでの生活と、、、ここでの生活は、、、あまり関連のない別個の世界という感じだったが、今年になって、、、この感覚が少し変わり始めた。二つの暮らしは、、、別々のものではなく、ひとつの人格に引き寄せられている、、、


07/24 夕方から激しい雷と雨。

スタジオでデータを仕上げていたが、短い外出を2度。冷房をかけていないビルの6階に比べると、むしろ外のほうが涼しいかもしれない。日差しが無ければの話だが、、、

できるだけ、経費の節約で、一人のときはサーキュレーターの風でしのいでいる。30度くらいならこれで結構涼しいが、33度あたりから、息ぐるしくなってくる。昨年、熱中症になりかけたので、ときおりエアコンも使用する。ビルに備え付けの大型エアコンなので、電気代も結構なものだが、冷え具合も、あまり快適とはいえない、、、、私一人のためにスタジオ全体を冷やすのも、こころぐるしいし、、、、まあ、自己満足だが、、、

今年は、もう展覧会の予定が無いので、作品の販売が、滞り気味だ。販売した作品の補充も仕上げなければならないが、、、、、

売らなくてもすむのなら、作品に囲まれているのも、それはそれで結構幸せだと思う。、、、生活費があればだが、、、

日本で、写真の展覧会と言えば、メーカーのサロンの展示であり、たくさんの枚数が、ひとつのテーマで展開されることが多いのだが、販売のためと言うことになると、まったく方向性が変わってくる。

サロンの展示は、雑誌の延長のようなものだ。コンセプチュアルな展開、全体でひとつのイメージをかもし出せばよしとされる。

何枚もの写真でひとつの表現に近づいていく。それらの写真は一枚ではない。場合によっては、起承転結、なんてことになるわけで、あくまで、その展示を見た、全体での印象が重要視される。

それゆえ、作者を選ぶ場合も、一枚の作品で、選考すると言うことはない。それは一見、当たり前のことのようだが、、、写真を美術として考える場合、限定的なイメージにとらわれていると思わざるを得ない。

たとえば、選ぶ側も、あまりにも偏っているわけで、同じような作品を何枚かもって行けば、それは当然、展覧会の観客が飽きるだろうから、選ばれることはないわけだ。

私自身、そんなことも考えるわけで、展覧会の企画には、見る側の思考を汲み取った流れも考える。。。そういう感覚だが、、、、それも捨ててしまった展示もしたい。写真としてではなく、まったく美術として、割り切った展示。購入する人間のことだけを考える。もちろん、それだけではあまりにも表現が偏ってしまうので見せる展覧会もする、、、、できれば対照的な二つの展示、、、、、来年には実現したい。

写真は複数で表現をなしていると思われるのは、雑誌の文化の悪い残像だ。何枚かで、それらは掛け合わされ、、、足し合わされ、、、イメージが絞り込まれていく、、、とは、、限らない。。。芸術として、写真を考えれば、、、なんとも限定的な解釈だ。

今だに、、写真を見る側、選ぶ側の人間も、その感覚で感性を温存している。。。一枚でその全てを汲み取る緊張感を、、、忘れ去ったか、、、あるいは、、持ち合わせていない。

最初に、自分の中のこの矛盾に気づいたのは、西村洋一郎さんの、フォトグラムの展示だった。もう10年以上前になるが、銀座の画廊で、20インチくらいの少し大きめの作品、それらは同じようなモチーフで、非常に似通ったものが何点か続けて展示されていた。

最初はなんだか同じようなイメージで、これらは少し点数を絞ったほうが良いのでは、、、そんなことを感じながら見ていたのだが、、、だんだん感覚が変わってきた。それぞれ1点が、全てであることが見えてきた。。。写真展ではないのだと、、、初めて気がついた。

その展覧会だが、とても小さな画廊。そして彼の話から、それらの作品は、印画紙の上に直接構成し、紙ネガを反転した一点限りのプリントであることもわかってきた。写真として、物を見ることは、なんとも幼稚で、狭い範囲の解釈にとらわれているのだと、気づかせてもらった。

自分のプリントも、できれば選んでもらいたい。エディションが未記入で、何枚かあれば、実は、同じように見えて結構違う。みな、1点限りのものだ。


07/21 3連休の最終日と言うことだが、車を取りに一日帰宅した以外、スタジオでの生活。連休は人が多いので、海のそばより、こちらのほうが、ゆっくり過ごせる。何かの花粉なのか、一日中くしゃみで、薬を飲み続けて、スタジオに戻ったときは、なんだかハイな感じ。車の渋滞もつらかった。

そして今日は、夕方から新大久保に出かけて、フランス人のフルーティストを取材。手ぶらで歩くにはいい町だけど、機材を持ってると、外国にいるような緊張感がある。機材を少なくしたので、スタジオに戻っても、体が軽い。

今週も、スタジオでの生活。まさに、貧乏ひまなし、、、、ただ、磨り減ってしまうのか、これがエネルギーになるのか、、


07/18朝 スタジオで今日はゆっくり過ごす予定。2,3日前に出てきて撮影は一件だけだから、ゆったりしている。

前回スタジオに来たときは、ほぼ2週間過ごしたので、、、、こちらの生活のほうがすっかりなじんでしまった。外食しないので、キッチンの調味料も増える。

週末は自宅で過ごし、スタジオで撮影したフィルムの現像で忙しかった。そして、珍しく雑誌の掲載用の原稿選び。ネガの現像は、今回はパイロ。パイロは、現像液だけでなく、全ての処理が、他の薬品と異なるので、どうしても、まとめて処理することになる。これが結構手間だ。

前回はPOTAだから、その違いがよくわかる。スタジオで撮影したイメージは照明比がコントロールされているので、現像の効果をよりはっきりと認識できる。。。新鮮だ。思えば、スタジオで作品を作ることは、今まで無かった。

昨日は、作品の印刷原稿用のデータ化の作業。プリントを複写して、データを仕上げ、インクジェットのサンプルを印刷。

印刷用のデータは、コマーシャルワーク以外では、自分の写真展のポスターぐらいしかやったことが無いな、、、そう思いながら、いつものようにデジタルのカメラで、ゼラチンシルバーのプリントを複写する。。。。。。基本的にモノクロ作品は印刷しないのがポリシー、、、あまり難しく考えないが、諧調が出ないから、、、

複写、と言うと、画一的な作業と思われがちだが、印画紙にしろ、絵画にしろ、表面にわずかでも凹凸があれば、立体を撮影するのと変わらない。そして、バライタ紙は、光沢の映り込みがある、、、絵画であれば、それも、作品の重要な要素。もちろん、写真でも、それは効果として使われている場合もあるわけだが、私の作品は反射を抑えて、表面を感じない仕上がりにしたい、、、ある意味フェロタイプ仕上げなら、楽に取り込めるが、、、仕上がったイメージにそれは不可能。。

ブラックスタジオ状態で、スポットによる照明。反射の出るシャドー側を避けて(今回も、ほぼ全面黒いイメージで、紙の質感がすぐに見えてしまう)、プリントにより、ライトの位置を何度も調整する、、たかが複写、、、これが難しい、、、

以前は、仕事でスキャニングもやっていたが、反射原稿というのなじみが無く、たとえば、バライタ紙はどうなるのか?と、言うようなことは、知識が無い。

ドラムなら、光学的な方向がそろうので、それほど問題は無いが(反射原稿のドラムスキャナーがあるかどうか知らないが)いまどきのフラットベッドは、どんな結果になるのだろう???興味深いところ、、、

昔の印刷事情からすれば、製版カメラのような、複写の読み込みに関しては、よい結果が出るとは思えない。バライタの、フェロタイプ仕上げと言うのが昔はよく行われたが、ある意味、印刷するための、苦肉の策だったのか、、、、(フェロタイプが、自家処理のアマチュアにまで普及してたのは、日本ぐらいかな?)

今日は、これからネガの複写。別に、データ化する必要は無いのだが、、先週、永嶋さんのDGSMプリントを見せていただいて、ポジの複写であることが新鮮に感じられた、、、スタジオのカメラならどうだろう?

PMKのネガは、濃度を低く抑えているし、ステインの粒子は、とても拡散率が低い、、、どんなデータになるのか?


06/25 あまり書く気になれず、更新が途切れがちだが、明日になると、もっと、書き出しにくくなる、、、そんな気がして少しづつ書き始める。自分の為に,書きしるしているのだから、別にどうでも良いわけだが、明日になれば、、、忘れてしまうこと、、、そんなことを、、書かなければと思う。

病み上がりで、スタジオに出かけてから、10日ほど、、、仕事に区切りをつけて戻ってきたが、少し疲れ気味な、、、日常が戻ったという感覚。

96年から、99年にかけての作品を整理し始めているが、、、、、もう一歩、自分の世界に入っても良いような、、、ジレンマの中で仕上げなおす作品を模索している、、、、、

おそらく、世の中の感覚とはかけ離れた感性で、物を見ていると思うのだが、、、このシリーズだけは、、かなりエディションが進んでいる。それらの価値を、否定するつもりは無いが、、、もうひとつ、、、自分の前で、、美しい光を放てない作品を、、、作り直そうとしている。。。そこに、、、そのネガに、、、光があると、、、あいまいな確信を持ちながら、、、

子供の頃、、、あるいは、10代の頃なら、、誰かに認められたい、、、多くの人に、自分の存在を知ってほしい、、、そう思うかもしれないが、、私自身は、ある意味、ませているのか、、、あるときからまったくそういう感覚は無くなった。

ただ、自分の愛する人に、見てもらいたい、、何かが共有できるのなら、わかってほしいと思う気持ちは今でも変わらない。、、、おそらく、、、子供の頃は、、、家族かもしれないし、、、それらに失望すれば、、特定の個人、、、そして、、、何か理想の中に作り出した偶像のような存在に、理解を求めているのだと思う。

だから、、、コンペや、不特定へのプレゼンのような行為には、まったく興味がわかないし、、、XX賞のようなものが、、、何らかの意味を持っているとは思えない。。。ただ、、、これは私にとってであって、、、おそらく、、、何かを夢見る、、子供たちにとっては、、大きな励みになることかもしれない。。。ある意味、、、みんな子供のままでいるのだろうか、、、、、

ここ数日、気に入っている作品が、何点か売れて、やはり、、、自分を、見つめなおすべきだと、思った。。。30年前のネガが、、今は光を放つ。

私は、伝えたいものがあって芸術が存在するとは思わない。。「表現したい何かがあって、物を生み出すのではなく」、、「産み出すそのもの」への欲求が、、その素材を得て、、形になって、、心を満たしてくれるのだと考える。。。。空想の中に、、コンセプトの中に、芸術は存在しない。

今、この手の中にある光こそが芸術だと。。。

何度も、スタジオとの間を往復したトマトをやっと料理した。たぶん買ったのは1ヶ月前なのか、、、少し売り上げがあって、、、良い物をの買おうと思って出かけたが、半額になっていた鳥の手羽先を買ってしまった。あまりに古くなった野菜を使って、カレーを作るつもりだったから、、、手羽先は微妙だ。。。味は、、なかなかよろしいが、、、見た目が悪い。


06/13朝 昨夜まぶしい月明かりで目が覚めたとき、少し熱が下がっていて、それからは少しづつ善くなっているように感じる。

からだを動かしている。。。ずっと寝たきりだったので部屋が散らかって、落ち着かない。ここ数日で、2度ほど、食事を作ってみたが、結局食べずに冷蔵庫。

肉体は、食欲や、性欲を失っているのだけれど、、、、、、人が最後まで持ち続ける、(あるいは最後に抱く)、快楽への欲望とは、なんだろう。

信仰というのは、とても頭のよい人が考えたギミックの集合体だと思うのだが、、最後までそれを否定し続ける自信は無い。

芸術は現実では、かなえられないものを与えてくれる。。。。。、、、美しい月、見たことのない花、夢の世界、、頂点の抱擁、、、、そんな、、、想像の範疇の感覚ではなく(巷では、それらの模造品を芸術と呼んでいるが)、、、、、、、負と正が融合する瞬間のような、たとえようの無い感覚、、、、、、

芸術は「表現」ではない。。。何かを語ること、そのものを否定すること。。。。。言葉や、目に見えるものを、否定して、、、はじめて見えるもの。

写真は、それを、現実の中から生み出そうとする、、、、しかし、、、それはどの芸術とて同じこと。

私が、写真に惹かれるのは、、、その描写が,,、レンズによって、、、光によって、科学的に作られること、、、想像をはるかに超えた美が、、、必ず存在する。

想像を超えること、、、、、、そこが入り口。

出かける準備をしている。

明日からはスタジオで。

少しづつ、、、元の生活に戻していく。スタジオから持ち帰って、食べなかった食品を、、また車に積み込む、、、、不思議な感覚。


06/11朝 起きたときには下がり始めたと思った熱がすぐに8度を超えてしまった。昨日より、だいぶ楽に感じるが、原因のわからない熱で気が重い。

頭や、咽が痛いとか、鼻の具合がよくないとか。風の症状はまったく無く、しいて言えば昨日は腸の辺りに鈍い痛みがあった。そして熱のせいで、体中が痛い。寒気がするので電気行火を出してきた。これは優れものだ。。。楽になったと思っても、体温は38度をきらない、、、

週末はフィルムの現像、その後コンタクトプリントと、スケジュールだけは順調に進んでいたが、暗室では、ホカロンとをからだにくっつけていたのだから、すでに熱は高かったと思う。トリミングを決めてテストプリント、、、そう思っても意識がはっきりせず、、、先に進めない、、、熱を測ってから、長い時間横になっている。

何か、新しいことを始めようとすると、、、以前に生まれてきた者たちが邪魔をする、、、そんな感覚かもしれないが、、知恵熱、と、言うには頭でなく、、、からだに起因した感覚だが、、、

少し前になるが(6月の4日だ、、、)、日芸の写真学科のギャラリーに出かけた。ちょうど、石神井公園でロケがあり、早く終わらせれば車なら近いと、、、、もちろん、わざわざ出かけても良いのだが、、、、、重い腰がなかなか上がらない。。。たぶん、学校が苦手なのだ。

20年以上、この町に来たことは無いのだが、、町そのものはあまり変わらず、、、学校だけが、すっかり様変わりしていた。まず、、学校を取り囲んでいた鉄の柵が無くなった。私が通った頃は学生運動の後なので、大学というものは、上れない、高い柵に囲まれているのが、、、普通だった。

私が想像していたギャラリーはすでに無く,新しいギャラリーが資料館としてオープンしていた。

収蔵する、モノクロームのオリジナルプリントの展覧会、、、、おそらく30年以上前に目にしたものと、同じものを、同じ場所で(この夢はかなわなかったが)とてもすばらしい展示だった。

以外だったのは、カーシュの大きな作品がたくさん,,,これは当時は無かったと思う。このすばらしさは、、、やはり学生には見てもらいたい。オキーフのポートレイとがすばらしい。これは超えられないと思う、、、誰にも。

Minor White も3点、、、これは当時も思っていたが、、、どうも、ぱっとしない。悪口を言うのではなく、、、このなかに飾るなら、、、もっと切れの良い、、、そして小さなもの、この3点を、同時に見せられた人は何を受け止めるのか、、、??

バロックや、ウェストン、アダムス、キャラハン、、、、、当時のままの、、、、それ以上の輝きを放っている。

これらの作品に触れられたことは、この学校に通った最もすばらしいこと、、、、

ただ、、、いつも思う。学ぶべき場所は、、器ではない。もちろん、それは、、、学校だからと、、あきらめられなくも無いが、、何か、大学には、悲しく、寂しい感覚が付きまとう。。。

熱が下がらない、、、、弱れば、、、弱るほど、、一人になりたいと思う、、、それはなぜだろう。


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