2013年07月
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作者近況 2013年09月 2013年05月

01/30 昨夜遅い時間に電車で帰宅した。駅から20分ほど歩くが、暖かかった。

まる一ヶ月の北海道の旅から戻り、すぐにスタジオに出かけてしまったので、ベッドで寝むると言う感覚は久しぶりで、夜中に目が覚めてもどこにいるのかわからない、、、、ちなみにスタジオでも、寝袋で寝ている。仕事が終わった後、スタジオの隅に簡易ベッドを置いて眠ると言う感覚がなんだか落ち着く。。。むかしからトレーラーハウスにあこがれているが、自分にとって、それが理想の住まいだと思う。

やっと、旅の荷物を片付け、撮影したフィルムもチェック。とても少なく、ある意味、現像は楽だ。

整理した、荷物の中で、暖かな気持ちにしてくれるのが、オホーツク海で拾ってきた、ガラスの浮き球だ。以前訪れたときも、たくさん見つけたのだけど、なんだかもったいなくて、持って帰ることが出来なかった。。。

今回は、、、なんだか、、もってかえって、、、そんな声が聞こえるような感じがして、拾っていたら、、持ち帰るのにちょうど良いネットの袋まで落ちていて、、、、砂浜の長い道のりを、重くなった荷物を持って、ゆっくりと歩いて戻った。。

ゆがんだものや、。不思議な刻印のあるもの。全体がビーチガラスのように磨かれたものなど、、、大きさ、色合いも、さまざま。

そして、不思議なことに、一つ見つけると、近くにもう一つ、、、そして遠くの方で光っているのがもう一つ、、、、つい、つい、走って遠くまで探し歩いてしまう。。。今日はベランダに並べてしばらく見とれる。

買い物や運転免許の更新などで外出した午前中は、とても穏やかな晴天だったが、夕方前からものすごい嵐になった。ベランダにも激しい潮風が吹き付ける。。。


01/29 午後になると時間が経つのが早い、、、あともう少し。もう少しで帰れそう。

01/23 旅から戻ってずっと仕事が続いている。スタジオだけではなく、昨日は青森で撮影。スタジオから新幹線で出jかけたが、スタッフの中で都内と同じ格好をしているのは私だけ。みな、長靴で積もった雪に備えていた。

長く北海道で過ごしたので、原野でなく、街中なら、東京と同じだろうと、思ってしまったのは私の失敗かもしれないが、タクシーの移動に、駅前のホテルの宿泊だから、さほどのダメージもなく、今回はそれほど寒い思いをすることもなかった。青森は例年どうりの積雪で、これなら作品も撮れるのにと、雪の少なかった北海道が悔やまれる。

そして戻ってすぐに今日は表参道で2件の打ち合わせ。

自分をごまかしているのかもしれないが、これも時間の流れの中、、、旅の続きのように感じる。ある意味、、、長い道のりを、次の撮影地に向けて車を運転している感覚、、、、次の場所で、新しい自分を探し始める。。。

ここにいれば、作りかけの作品のことは考えなくてもすむわけだ、、、明日、撮影する人のことを考えればよい。いつまでも自宅に戻らず、ずっとスタジオで過ごしていれば、私は違う人間になれるのだろうか?もちろんそんなことはなくて、何か、黒い堆積物を、溜め込んでいくのだと思うが、、、明日は、どんな仕事ができるのか??ふっと楽しみに考えたりもする。

人物の撮影と、静物の撮影はほぼ同じ比率でやってくる。。。。ふと、、、、明日は、、フィルムのカメラも使ってみようかと思う。ふと、遊び心がわいてみたり。


01/14 戻ってきた。今日はスタジオで新しく届いたカメラのセッティングが忙しい。

撮影を切り上げてフェリーに乗ったのは数日前だが、原野を離れれば時間がたつのはあっという間だ。自宅で一日過ごしたが、すぐに電車でスタジオに入り、新しいデジカメのセッティングをしている。明日は従来のカメラを使うが、あさってにはこのカメラで撮影する。機材はともかく、、気持ちの切j変えはまだできていない。明日、、、スタッフが入り、撮影が始まれば、きっと気持ちも切り替わるだろう。。。一人だった原野の感覚がまだ残っている。

北海道のたびはほぼ一ヶ月。一度も外食をせず、車内で過ごしていた。人に会うこともほとんどない。しかし、不思議な感覚だが、仕事が始まれば、何事もなかったように、みんなで何かを作り始める。これも、私の生活だと思う。

何かいろいろなことが思い出されるが、たくさんの動物の死体を見た。たとえば、猟師がしとめたばかりの牡鹿。昨日はなかった海岸に、夜明け前に突然うちあげられるアザラシの死体。夜が明ける前から動き始めると、いろいろな動物のあらわな世界を見る事になる、、、美しい瞬間に出会えて、感覚は研ぎ澄まされていく。。。

自分を見つめなおし、変えようと思うが、結局、何も変えることができずに戻ってきた。ふと思えば、、、気持ちの中では旅はこれからなのかもしれない。。

スタジオは小さなビルだが、建物は8階まであり、6階を借りている。下の5階と上の7階がずっと空き家だったが、昨年の暮れに、下の階にやっとテナントが入った。一ヶ月ぶりにスタジオに入ってみて、いつもより暖かいと感じるのは、ひとけがあることのありがたさだと思う。例年は、長く留守にすると、廃墟より寒いと思うこともしばしば。

天候は良くなかったが、たくさんの美しいものを見た。おそらく、自分が探しているのは、見たことのないものだ。。。。。だが、、人は、見たことのあるものから探し始めているのだと思う。。。私が思う奇跡とは、そんな中で、突然、自分の目を、見開かせてくれるもの、知らなかった世界が降りてくることだと思う。。。

どんなにすばらしい経験をしても、いつかは忘れてしまうのだな、、、なんて年をとったら悲しいことを考えてしまうが、、、

思い出してみれば今日は誕生日だ。何時をもって誕生と言うのか?受精した瞬間?生まれ出た最初の呼吸?あるいは、今日生まれたと思っても良いではないか。私は、誰から生まれてきたものでもない。自分自身を生み出さなければならない。。。


01/09 車内での生活も4週間になり、すっかり慣れてきたが、壊してしまった部分もちらほら。車もそうだが、腰が痛くなり、膝の具合も良くない。

旅は、道東から始まり、まずは反時計回りに北海道を一周した。そのころは、気温がプラスの日が続き、稚内の原野も、まったく雪がなかった。それは初めての経験で、サロベツの原野は魅力的だったが、翌日には雪が降り始め、予報を見る限り、それからずっと吹雪いている。

北海道の気候は稚内を境に、大きく異なり、日本海に面すると急に雪が多くなる。まずは一周し、その年の感じをつかむのだが、12月中ごろではまったく予想がつかない。今年は特に、それからの変化が大きかった。

日本海の雪は湿って重たく、車へのダメージが大きい。最初の数日でサスペンションに異常が発生し、大事をとって、雪の少ない道東だけをまわることにした。道東は雪は少ないが、激しく冷え込み、乾いた雪が降ってくれればそれが風で舞い、日々の景観に変化が生まれる、、、はずであった。。

天候の変化はまったく無く同じ晴天の日が続く、、、いつまで待っても乾いた雪は降ってくれない。野付での撮影はとても退屈で、空に向かって撮影することは一度も無かった。木を撮りたいのだけど、、、、、、、、

それではということで、、氷を撮ろうとする。そうすると昼間の日差しは強すぎて、夜明け前と、日没前後に歩き回る、、、それすら結局撮れていない。。。

良いこともある。雪がないので普段行けない奥地まで車で行けたりする。大きな移動はしてないのに、車の走行は5000キロを超え、結局ガソリンに大金を費やしている。

何か、、、被写体を探すことに飽きてきた。。。ばかばかしく贅沢な話だが、、、、、、、、


01/08 久しぶりに暗がりの中で仕事。タルコフスキーの映画を思い出すような美しい空間。初めての場所だが、その小さな空間に宇宙がある。

何を撮るのか、ずっと迷い続けているが、廃墟の中の光は、その答えをくれるように感じる。暗闇に零れ落ちてくる光、どんな小さな空間であれ、心から癒される。。。

10代だった高校生のころ、何のために撮るのか、、そんなことをいつも考えていた。

当時、つきあっていたていた彼女に、そんな質問をされたとき、とっさに、「自分を慰めるために」、そう答えて、転げ落ちるほどに笑われたことがある。。。それから、人に本音を話すことはなくなったが、、、、当時の私にとっては。慰めるとは、聖書の中の言葉のように、たとえば、メサイアの響きに連想されるものだったのだが、高校生の彼女にしてみれば、自分を慰めるというのは、自慰であり、性的な滑稽さをはらんだものにしか受け止められなかったのだと思う、、、、今となっては十分納得できることだが。。。当時の私には、まったく納得のいかないことだけれど、、、

特に若いころは、、、自分を、満たしてくれるものを探していた。

それが何なのか、いまだに判らないが、時々すっと、魂にしみこんでくる空間を感じる。

10代の自分は、自分には写真しかできないと、、いつも感じていた。。。。それさえも、もちろん、十分な物ではないのだけれど、少なくとも、これだけは、自分の力で何とかできるのではないかと思いながら、、、

今は、ふっと、そんな感覚がやってくる程度、、、、陳腐なものしかできなくても、それほど苦しまない。

ただ、誰かのためではなく、自分のためだけに撮る。少なくとも今日は、、そして、その一枚はわたしのもの、、、、、


01/07 天候の変化が無く、常に期待を裏切られている。昨日の足跡がそのまま残る原野は、とても退屈で、出かけるのがいやになってしまう。特に最近は、穏やかな晴天が続き、この、のどかな感覚が、私の好みではない。

やっと気温は下がり始め、表土が凍り、少し歩きやすくなってきたが、元旦に降った湿ったゆき以来、道東では、木々に着氷するようなことは見られない、、

何を撮ろうか、、、そう考えて、夜明け前の薄明かり、、そして、日没後、、、その時間帯はやたら歩き回る。。。それ以外の時間は、のどかな快晴という感じで、撮る気にはならず、車を走らせて無駄に時間をすごしている。。。

廃墟に戻ってきた。そういっても初めての場所、屋内なら好みの光が得られるように感じる。今日は下見。

明日は夜明け前から廃墟の中を撮る。


01/02 珍しく乾いた雪が降り始めた。ここに来て3週間、東側で雪は降らない。大晦日に、湿った雪が降り、初めて白い世界が増えてきたが、気温が下がらないのですぐに解けてしまいそうに感じた、、、気温もー5度を超えることはなかった。。。今朝になってやっとー10度くらいまで冷え込む、、、

明日は期待が持てるように感じる、、、、、、何も撮らずに長い時間をすごしている。。。

湿った湿原を歩き、時には膝まで泥に沈んでしまう、、、明日は、撮りたい。

あるいは、自分は、被写体の選択を間違っているのかと、考えたりする。

雪の上を歩きながらふと思う。私は、本当に親しい人の臨終に立ち会ったことがない。もちろんたくさんの人が死んでいったが、その場面を見なければ、その人は私の気持ちの中でいつまでも生きている。彼の死は、言葉の中だけの出来事。。。

ゆきが降らなければだめだ、、、明日も夜明け前に出よう


12/26 2000キロ以上走り、10日ぶりに室蘭に戻った。何が撮れたのか、、あまりにも結果が乏しく少し気持ちが沈んでいる。

何を撮る、そう決めているわけではないのだが、ときめくものがなければだめだ。一日中歩きまわる日もあれば、まったくイメージがわかず、一日中車を走らせることもある。何を求めているのかもはっきりしないが、たぶん、奇跡のような出来事だ。ありえないような、美しい空や、波の輝き、、、ひょっとしたら起こるかもしれない、奇跡を求めている。

おそらく、そんなことは起こらないと思っているのだが、撮らずにはいられない、そんな空間を探している。

日本では写真という芸術は、ずいぶん安っぽく扱われ、決定的瞬間なんてことが、写真の本質的な表現だと、まことしやかに言われていた。

その表現をそのまま解釈すれば、ある意味、写真家は存在しないことになってしまう。客観的時間軸を切り取ることが術だと?そうでないことは誰が考えてもわかることで、ムービーの1シーンを写真家が求めているように、幼稚にに誤解した考えから生まれてきたような解釈。

写真における、時間とは、一般的にいう空間のことだ。つまり、写真家がいて、シーンがあり、瞬間的に空間が切り取られる。連続した、時間軸を切り取った瞬間ではない、、、

そんな時間軸の中を、さまようように旅をしている、、、夢見るような空間を探して、、、


12/18 野付半島に着いた。室蘭で一日過ごしたが、撮影にはいたらなかった。魅力的な場所だが、今は撮れない。時が来るのを待とうと思う。

野付半島は、例年とはまったく違ってまったく雪がない。湿原の中の遊歩道を何度も行き来するが雪がなければだめだ。明日降らなければ、ほかの場所に移動する。


12/15 フェリーの中で長い午後を過ごしている。

午前中はテストしたフィルムデータを整理して、露光の早見表を作ったが、、それも昼には終わってしまった。こんな時間は乗り物の中でしか味わえない。体を動かさず、ただ、到着をじっと待っている、、、、

いつもはっきりとした行き先は決めず、ただ、原野を、人のいないところを目指すのだが、今回は町も少し見てみようと思う。まず室蘭かな、、、あるいは到着した苫小牧、、、

廃墟で仕事がしたいと思うのだが、適当な場所が思いつかない。車が積雪に向いていないので、雪深い廃墟にはたどり着けそうにない。ならば、知らない町はどうだろう、、

私は子供のころから写真家になりたいと思っていた。それは10代のはじめからで、カメラという道具への憧れもあったけれど、、、やはり、写真には想像力をかきたてる、、、自分だけの世界が作れる言う魅力があった。

おそらく現代のカメラや、巷にあふれる写真芸術に触れていたら、写真家になりたいなどとは思わなかったと思う。絶対的な要素、、、、このメディアで乗り越えられる、絶対的な境界を感じない、、、、、

芸術として、写真がその独自性を発揮するひとつの境界線、、、、、写真はなぜそれを失っていくのか???


12/14深夜 フェリーの船室で出航を待っている。午前2時前に大洗港を出て、苫小牧に着くのは翌日の夜だ。やっとノートパソコンから日記の更新できるようになった。。疲れているが気持ちは穏やかだ。。

今日発つのは無理だと思っていたが、無理はしてみるものだ。予定を切り詰めたのは、フェリーのスケジュールもある。明日は便がなく、今日を逃すと2日後になってしまう。とにかく早く出かけよう、、、そう思いながら、いつも憂鬱と戦っている。どうせ仕事を断っているのなら、がむしゃらに早く発つのも良いのかもしれない。

いろいろと準備は切り詰めたが、フィルムの用意だけは整えた。今回からefkeのオルソフィルムも用意してある。macoのものよりかなり感度が稼げるし、いくらか汚染が少ないように感じる。

200枚ほどのフィルムを装填していると、なぜだか、フィルムもどうでも良いような気持ちになってきた。とにかく旅に出たい。

フィルム以外はあまりにも準備ができていない。北海道に着いたら、まず、雪用の靴を買わなければ、、、、、、、、


12/11 北海道に撮影に出かける準備。車のタイヤを冬用に交換して各部を点検。先日友人が教えてくれたブレーキランプも新しいものと交換した。吹雪の中ではこれが生命線になる。

下回りの点検で新たな不具合が見つかった。4つあるマフラーを支えるステーの一つが、錆で溶接されたフレームから外れてぶら下がっていた。このままではマフラーが落下しかねないのでとりあえずステンレスの針金で補修。車体の錆は、見た目以上に深刻だ、、、戻るまで何とかもってほしい。

オイル交換やウォッシャー液の交換。今回はネットで特売だったワイパーも交換してみたが、470円(アーム込みで)と言う安さにかなりの不安を感じて、今までのものも予備に持参する。低温でひび割れる可能性も、、、、、、、

いつものことだが、出かける前はなんだか憂鬱。。一枚も撮れない不安や、道中の危険、、、たくさん断ってしまった仕事の経済的な不安もある、、、、

それも、もう少し経つと和らいでくる、、、なぜだか、出かける直前には、なんだか、、、どうでも良くなってくる。

何を撮るのか、何が撮れるのか?そんなことは考えなくなって、ただ、旅に吸い込まれていく感覚。。。

この日記を、はじめてWinで書くようになった。うまく気持ちが切り替えられない。いままではとても古いMac、、、それが自分にぴったしだったのだと思う。。

あすはスタジオ。戻ったら機材を準備して出かける。


12/08朝 自宅の外壁の補修工事があると言う事で週末に帰宅。実際の補修は、10分程で終わってしまった。逆に言うと、たいへんなところはそのまま。。。私の身体よりは丈夫にできていると思うので、雨漏りさえしなければあまり家の事は気にしない。生きている間は快適に過ごせれば文句はないのだが、、どうだろう、、、

ウィークデイはスタジオの仕事が忙しかった。そんな中、深夜まで渋谷で打ち合わせをした後、戻ったスタジオの留守電に、学生時代の親友の死亡を告げるメッセージが入っていた。連絡の糸がつながらず、、知らせてくれた友人も、前日に知らせを聞いたとの事。。亡くなったのは、夏だった。。。

同期の友人や、研究室のメンバーは、どう言うわけかどんどん早死にしていく。(本当に不思議だが)、、、もう、知り合いも少なくなってしまったが、彼が死ぬと言う事はまったく想像出来ない出来事だった。

学生時代はあまり付き合いの良い方ではなかったので、お互い親しい友人は少なく、たまに連絡をとるのは彼ぐらい。。その連絡も、昨年の個展を知らせようと電話した時に留守番電話だったのが最後だったような、、、、、、、、

私は、創作に於いて、人から影響を受ける、、、と言う事があまり無く、今でも特に親しい人間はいないのだが、、、自分の創作スタイルは、彼に出会った事に由来する。。。現在まで、作風は変わったが、創作を続けてこられたのは、学生時代の彼の影響が大きく関わっていると思う。

当時も、今でも、唯一、私の芸術を理解する人間だった。彼の死を知って、何かが変わるのか??

整理の付かない気持ちはあるのだが、、私も彼も、、、もっと自由になるのだと思う。。何かが変わるのか?私の中に本当のの芸術はあるのだろうか?


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